愛の深い人
「私は両親に十分に愛されて育ったと思います」
「親子関係は良好で、何も問題はありません」
そう話される方は、とても親思いの愛の深い人です。
この方の信念は、愛されて育ったということは、
私は何も傷つかなかったということだというものです。
「傷ひとつない自分」であることが、「両親の愛の証明」です。
同時に、その方自身の「両親への愛の証明」でもあります。
少しでも「自分が傷ついた」という事実があったら、
それはまるで両親への裏切りのように感じてしまうのです。
しかし私たちは、まったく傷つかずに大人になるなんて、ある意味不可能なことです。
つまり、誰でも大人になる過程で、親子関係に多少なりとも傷ついてきたはずなのです。
私は愛されて育った=何も傷つかなかった
私は愛されて育った=しかし傷ついたこともあった
この二つの文章を読んで、どう感じるでしょうか?
どちらがより真実に近い感じがするでしょうか?
あなたが両親に愛されたこと。それは事実です。
あなたが両親を愛したこと。それも事実です。
そして、「あなたは親子関係で傷ついたこともあった」それもきっと事実です。
そこに愛があっても、人は傷つくことがあるのです。
「傷つく」という言葉が悪いのかもしれません。
小さい頃、「寂しい」って感じたことはありませんか?
「悲しい」って感じたことは?「イヤだ、辛い」って思ったことは?
「わかってもらえないんだ」って感じたことは?
そう感じていた小さなあなたは、
インナーチャイルドとなって、あなたの中に今もひとりで居るのです。
あなたは、両親への愛を証明するために、その子の存在を無かったことにしてはいませんか?
「辛かった、寂しかった」って言ってもいいんです。
それを認めたからって、「あなたの両親への愛」はこれっぽっちも傷つきません。
どうぞ誇りを持ってください。あなたは誰よりも愛の深い人なのですから。
そしてひとりぼっちで待っているインナーチャイルドも、あなたの愛でどうぞ救ってあげて下さい。